「どうとく」という冒涜 -前編-
スポーツ観戦が大好きだ。
水泳、体操、卓球、バレーボール…
過去経験したこれらのスポーツ中継は飽きることなくいくらでも観ていられるし、
ワールドカップ南アフリカ大会を機にサッカー観戦にも面白みを感じ始めた。
弟がアメリカンフットボールをやっていたので、
「彼との話のタネが増えれば」と思いテレビ観戦を始めてみると、
これまたすっかりハマった。
「そう言えばアメフトとラグビーの違いって何だ?」
という疑問をきっかけに、ラグビーも面白く感じ始める始末である。
しかし、何と言っても野球である。
野球中継がある日には必ず観戦しながらソファに座っているし、
ご飯のおかわりをつぎに行くタイミングは決まってCM中だ。
そして年に数回は球場に足を運び、
夜空を照らすカクテルライトの下、しこたま飲みながら
ワンプレー毎に「これでもか」とはしゃぎ倒している。
(飲んでいるせいでトイレが近くなり、ホームランを見逃した経験も2度ある。)
増してタチが悪いことに、昔から高校野球も大好きだ。
だから、野球経験は酒を飲みながらの草野球しかない癖に、
各選手のウンチクはプロ入り後のものは勿論のこと、
プロ入り前のものも一通り言うことができてしまう。
どのスポーツでも同じようなところがあるように感じるが、
ホームランをバカバカ打ってブイブイ鳴らしていたような選手が、
プロでは常にバントを求められる存在として役割を果たしていたり、
「守備の人」- 試合終盤の守備固め要因として活躍していたりする。
「実力社会ゆえの椅子取りゲーム」とも表現できるかもしれないが、
何はともあれ、団体競技ゆえの適材適所を、
それぞれがまさに「プロフェッショナル」として全うしている。
ある現役選手のエピソードで、このようなものがある。
その選手の高校時代の通算ホームラン数は、
しかし彼は今、プロ野球の世界で2番打者として役割を全うしており、
レギュラー定着後6年間のうち4年間でリーグ最多の送りバント数を記録している。
ある日の試合、彼の地元の友人たちが試合を観戦しに来た。
高校時代、「怪童」と呼ばれた選手に対して友人たちは
豪快なバッティングを期待しながら応援している。
ノーアウト、ランナー1塁の場面で彼の打席が回る。
監督からのサインはなし。
「今日は好きに打ってこい」という、粋な計らいだ。
しかし彼は淡々と送りバントを決め、ランナーを次の塁に進めた。
彼の次の打者がヒットを放ち得点。
それが結果的に決勝点となり、その日チームは勝利した。
試合後にその選手が
「後ろの選手の力量を考えると、ああする方がチームの勝利に繋がると思ったので」
と語る姿を見て、監督は「まさにプロだ」と感動したそうだ。
「何のために」− まさにこれを考えさせてくれるエピソードのように感じる。
…では、このようなケースはどうだろうか。
舞台は小学生の野球チーム。
「星野くん」という野球少年は、
このチームのエースピッチャーで8番バッターだ。
ある試合で彼に打順が回ってくる。
最終回、ノーアウト、ランナー1塁という場面だ。
試合は今、1点差で負けている。
ここで監督から出た指示は「送りバント」。
「バントでランナーを進めて、1アウト2塁にしろ」という意味だ。
星野くんは、ここまでの打席ではいずれも凡退。
しかし、凡退のなかで相手ピッチャーが投げる球の感覚を得ている実感があった。
そこで「打たせてほしい」と交渉するが、監督は、
「『打てそうな気がする』くらいのことで、作戦を立てるわけにはいかないよ。
ノーダンなんだから、ここは、正攻法でいくべきだ。」
チームが勝つために星野くんも了解する。
ピッチャー、投げる。
「これは…!」
その球は、星野くんが得ていた感覚にピタリと当てはまる絶好球。
星野くんは思わずバットを振り抜いた。
打球は外野に転々と転がり、2塁打に。
ランナーが還り同点。
なおもノーアウト2塁の場面で次の打者が放った打球により
星野くんがホームに還り、逆転サヨナラ勝利。
チームみんなで喜びを分かち合う。
・・・・・・・・・・・
この話には続きがある。
その試合後、監督はこのような決断を下す。
「ぼくは、こんどの大会に星野くんの出場を禁じたいと思う。
とうぶん、きんしんしてもらいたいのだ。
そのために、ぼくらは大会で負けるかもしれない。
しかし、それはやむをえないことと、あきらめてもらうよりはしかたがない。」
…これは、かつて小学校の「道徳」の授業で用いられていた
『星野くんの二塁打』という教材の内容である。
今日はバテたのでここまで。