真幸くあらばまた還り見む

問い浮かべ、悩み答えてまた問うて。苦しゅうなく書いてゆきます。

「頭の悪い人が嫌い」という叫び -前編-

 

 

 

関西の某府県から東京に移り住んで5年目になる。

 

 

東京で暮らし始めてから辛い思いをした経験は質/量ともに

この場では到底書き切れない程のものがある。

(東京の責任ではないことが大半ではあるが。)

 

 

 

その中でも、最初にぶつかった壁はやはり「言葉」だった。

 

 

いや、好意的に見られる場面もあったはあった。

 

 

例えば、「教育系」と呼ばれる仕事に就いていた僕は高校に訪問することも

しばしばあったのだが、出先で女子高生に

「お願いなんですけど、関西弁で“好きやで♡”って言ってください…」

という甘酸っぱいリクエストを受けることは片手でおさまらない程度にはあった。

(言った後に「キャー///」と騒いでいる彼女たちの姿を眺めながら

「俺はここに何しに来たんや…」と苦笑いをしたことも一度や二度ではない。)

 

 

他には僕のホームグラウンドとも言える、夜の飲み屋界隈で

カウンターで同席しているお客の方から屈託のない笑顔で突如

「“なんでやねん!”ってツッコんでください!!!」とのリクエストを戴きもよくする。

もはやこれ自体が「なんでやねん」案件である。

 

 

 

こういった好意的な場もあるにはあるのだが、やはり少数だ。

 

 

 

「女性が方言を使っている姿が可愛い」という世の風潮もあるが、

それをそっくり身長180cm越え・男性ホルモン多めの飲兵衛に情けをかけて適用するほど今の日本社会は寛容ではない。

 

 

勿論基本的なマナーや言葉遣いの面では問題なく東の言語を話せはするのだが、

言葉の端々にイントネーションの差異等が出る。

それについても普段から意識的に改善を図るようにはしていたのだが…

 

 

 

前述したように、僕は「教育系」と呼ばれる職種に就いていて、

学校現場に訪問することも多かったのだが、

某都県の高校で打ち合わせをした際、その高校の先生からは

「失礼ですが、あなたはどちらのご出身ですか?」

「言葉の端々のイントネーションがさっきから気になっていまして」

「そんな満足に標準語も使えない方がこちらの教育現場のことを

把握されているようには思えないんですがねぇ」

という手厳しい牽制球を投げられたりもした。

 

 

挙句の果てには

「ウチは偏差値の低い学校ですけど、そのウチの生徒でも標準語は使っていますよ?」

という

アメリカ人の子どもでも英語は話せるのに」的フィードバックも頂戴した。

もはやトンチの世界観である。

(※勿論担当都県の教育現場に関する勉強はしていたので、

その後の時間で先方にも認めていただけて無事事なきは得た。

「生徒に失礼やろこのアホンダラ」という言葉はグッと飲み込んだ。)

 

 

 

一方でホームグラウンドである筈の飲み屋でも、東京23区の郊外某所に遠征すると

注文の際の「クロキリ」(=黒霧島という芋焼酎)のイントネーションで

関西人だということが大将にバレたらしく、

「申し訳ないけれど、これ1杯飲んだら帰ってくんな」

「俺、関西の人間昔からでぇ嫌ぇなんだよ。エラソーで民度低くてよぉ」

と突如の追い出しを喰らったこともあった。

(ちなみに「クロキリ」のイントネーションは、

関東は「クロ↑キリ」、関西は「クロキリ↑」らしい。これもお勉強である。)

 

 

 

これらは特にどぎつい(そして少し極端な)出来事ではあるが、

他にも大小様々な場面で、兎にも角にも言葉で随分苦労をしたのだ。

そして、腸が煮えくり返る思いをしたことも何度もあった。

 

 

 

東京に出てきて1年が経つ頃には、初対面の方や関係がまだ浅い方に

話の流れで「関西出身です」と打ち明けても

「え…言葉遣い…」「全然分からなかった」と言われるようになった。

よそ行きの言葉を身につけ、晴れてバイリンガルとなったのだ。

 

 

 

 

本題に入る前の枕が随分と長くなったので、今日はここまで。

本題は次回へ。

  

▼次回予告(という名の備忘録)

↓↓

①「アホ」と「バカ」の違い

②「頭の悪い人が嫌い」という発言について