真幸くあらばまた還り見む

問い浮かべ、悩み答えてまた問うて。苦しゅうなく書いてゆきます。

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「頭の悪い人が嫌い」という叫び -前編-

関西の某府県から東京に移り住んで5年目になる。 東京で暮らし始めてから辛い思いをした経験は質/量ともに この場では到底書き切れない程のものがある。 (東京の責任ではないことが大半ではあるが。) その中でも、最初にぶつかった壁はやはり「言葉」だっ…

屈託なき歌声の恐怖政治

16歳の頃から「指切りげんまん」という行為が嫌いだ。 この行為の元々の由来は、 江戸の遊女が永遠の愛を誓い、客に自分の小指を切って渡したことだ。 転じて、現代において「指切り」は 「約束の厳守」を誓い合う行為として認知され、行われている。 くれ…

個人主義と集団と。 -後編-

▼前回の記事 ↓↓ hp240.hatenablog.com 僕が過去に感じていたことは前回までの通りである。 高校入学、そして卒業以降も長らく、 自分以外の存在とは一定の精神的距離を保ちながら過ごしていた。 ある意味、自分自身とも一定の精神的距離を保っていたかもし…

個人主義と集団と。 -中編②-

▼前回の記事 ↓↓ hp240.hatenablog.com 中休み、過去語りの後編である。 僕の出身中学校は当時、3つの小学校から生徒が集っていて、 入学後しばらくすると違う小学校出身の友人にも恵まれた。 そのうちのひとりと特に仲良くなり、 1年生のときの昼休みには毎…

個人主義と集団と。 -中編①-

▼前回の記事 ↓↓ hp240.hatenablog.com 前回の続きである。 今回と次回は中休みで、自分の過去語りが中心になるがご了承されたい。 思うに、僕が「所属感」と呼ばれるものをスッパリ諦めたのは、 中学校2年生の頃からと言ってほぼ間違い無い。 俗に言う「厨二…

個人主義と集団と。 -前編-

「所属感」と呼ばれるものについて。 僕は「所属感」と呼ばれるものをあまり感じることがない。 「あまり」と表現するにも訳があって、現在の自分の状態を厳密に言ったときに、 2015年までは全く感じることができなかったのだが、 現在は「これが所属感なの…

「表現者」という冠について

「表現者」を自称する人間に興味を惹かれる。 同時に、その人間が「表現者」を自称している所以にも強く興味を惹かれる。 更に同時に、「表現」という言葉の意味について、 まだ明確に定義をできていない自分自身の状態に気付かされる。 hp240.hatenablog.co…

「配慮」と「遠慮」と「恥じらい」と。

久々の投稿である。 元来の「アウトプット欲はあるものの、出す前に思考を働かせすぎる」 という傾向が、ここぞとばかりに足枷となっている日々が続いてきた。 ハッキリと言おう。 アウトプットすることが怖かったのだ。 所詮、文字は文字であり、文章は文章…