真幸くあらばまた還り見む

問い浮かべ、悩み答えてまた問うて。苦しゅうなく書いてゆきます。

個人主義と集団と。 -中編②-

 

 

 

▼前回の記事

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hp240.hatenablog.com

 

 

 

中休み、過去語りの後編である。

 

 

僕の出身中学校は当時、3つの小学校から生徒が集っていて、

入学後しばらくすると違う小学校出身の友人にも恵まれた。

 

 

そのうちのひとりと特に仲良くなり、

1年生のときの昼休みには毎日、誰もやって来ない穴場、

柔剣道場の前の廊下でふたりで色々なことを語り合うようになっていた。

 

 

彼は教室では少しやんちゃ、そして明るめのキャラクターとして認知されていたが、

その実、見えない部分では日々多くの葛藤と組み合っている人間でもあった。

 

 

・両親が離婚をしていて現在は母親しかいないこと

・その母親は毎日のようにパートに出ていること

・だから自分が兄弟の世話も含め動き回っていること

 

 

そんな話も打ち明けてくれた。

 

 

前回の記事で述べたような小学生時代を過ごしてきた自分にとって、

授業中にふざけることやヤンチャをすること、教師をいじり倒すこと、

そして夜に家に帰らずたむろをすることなんて、

「いやいや何でそんなことできるん!!?」という衝撃でしかなかったのだが、

話を聞いていると、

 

 

・家でも気が休まらないから、せめて学校にいる間はみんなと笑いたい

・親ともほとんど喋る機会がないから、大人への話しかけ方が分からなくて…

・毎日家の世話をしているとたまに嫌になる時があって、帰りたくなくなる

 

 

ひとつ、ひとつと話を聞かせてもらっているうちに、

彼の感情が痛いほど分かってくる。

 

 

何より彼は本当に友達思いの優しい人間だったし、偏見がない人間でもあった。

僕も知らぬ間に小学校時代までのことを訥々と彼に打ち明けていたが、

全てを咀嚼しようとしながらバカ真面目に聞いてくれたし、咀嚼するために

「分からない」ところは「分からない」と言い、その後には必ず

「だからもうちょい詳しく聞かせてくれや」と言ってくれた。

 

 

中学校上がりたて、声変わりもオナニーの快感もまだ知らぬガキンチョ同士にしては

随分と大人びた対話をしていたと思うし、逆に言えばそんなガキンチョ同士ゆえの

柔らかくもたくましい、繊維の奥まで真っ白な対話だったとも言えるだろう。

 

(※「だからもうちょい詳しく聞かせろ」は今の自分の口癖でもあるが、

もうお分かりだろう、当時の彼からの受け売りだ。)

 

 

僕は話せばそれだけ彼のことを好きになり、同時に尊敬も深めていった。

昼に購買で70円のパンを買い、その足で一緒に柔剣道場に行くのが

毎日の楽しみとなっていた。

 

 

 

・・・・・・・・・・

 

 

 

中学校に入って新たな環境で新たな友人ができた。

家に帰り、彼の人柄、話した内容について喋りたくもなる。

 

 

果たして、両親から返ってきた言葉は

「そんな素行も、家の状態も、成績も悪いような奴と付き合うな。」

 

 

悲しくなった、と言うより、絶望に近い感情を覚えたことを今でも記憶している。

 

 

同時に、彼の日々の努力や心の中での葛藤、そして人柄を無視されたことに

心の底から腹が立った。

 

 

以降も、彼との付き合いはやめなかった。

 

 

家に帰るたびに、

「あの子との付き合いはもうやめてきたんか?」

「明日こそは“もうお前とは付き合えへん”って言ってきなさい」

と言われ続けた。

 

 

日を経るごとに、僕の帰宅は遅くなっていった。

もう、表面の表面しか知らない人間に彼のことを毎日のように否定されるのも、

自分自身の感情を否定され続けるのも、

そしてテストの失点や生活のちょっとした緩みを全て

「あんな友達と付き合ってるから」と彼の責任にされ、

「意識をもっと高く持つことに集中しなさい」と言われ続けることも、嫌になっていた。

 

 

そこから、徐々に素行も良くなくなっていった。

 

 

裏でこっそり煙草に手を出すようになったのもこの頃からだし、

眉毛もなくなった。2年生の頃は髪も茶色になった時期もあったし、

家に帰らない日も多くなる。

必然的に、次の日の午前は学校をサボることも珍しくなくなった。

 

 

全ては親に対する抵抗のつもりだった。

「どれだけ良い高校と大学に入れるかが全て」「結果が全て」

と刷り込みのように言い続けてきた親に対する抵抗だった。

 

 

「成績さえ良ければ何でもええんやろ?そう言うたんはお前らやぞ」

(※当時、成績だけは割と良かった。5教科の平均点で90点はずっと獲っていた。

小学校時代から手厚い教育を受けてきた分の貯金でもあったのだが。)

 

 

2年生の秋には、人生で初めての彼女もできた。

 

 

しかし、親の立場からするともう我慢できない。

 

 

目に見えて素行は乱れていっており、家ではしょっちゅう問題も起こす。

まともに会話にも取り合わずに適当に嘘をついてなぁなぁにする。

親心で心配もしているのに、「お前」呼ばわりで悪態をつき回す。

(※後日聞いた話だが、当時の担任からも裏で相当嫌味を言われ続けてきたらしい。)

 

 

自分から見ても、当時の自分の裏での素行は大問題だった。

 

 

その上オンナにうつつを抜かすと来れば、もう大噴火だ。

 

 

毎日のように「女狂い」と罵られ続け、

休日に男友達と遊びに行くにも

「どうせ彼女と会うのだろう」「絶対に会わせない」という名目で監禁もされた。

 

 

しまいには(母親が親戚に何を吹き込んでいたのか知らないが、)

年末の親戚一同の集まりの場で、親戚一同に囲まれ

「別れろ」「別れなければ3学期からは中学校をやめさせて寺に入れる」

「親子の縁も切る。言うことを聞けないのならもういい」と詰められる始末。

(※父方の祖父母の家が34代続く寺なので、マジで話が進んでいた。)

 

 

最後、母親は泣きながら

「本当にあんたは失敗作や。産んだあの時親子もろとも死んどいたら良かった。」

 

 

 

この出来事を機に、僕は完全に「家族」という概念を信頼しなくなった。

 

 

「親の期待に添えない“作品”は失敗、ガラクタなんや」と。

 

 

当時、学校では何だかんだで生徒会役員や学級委員長も務めていたが、

少しでも自分の意のままに行動すると担任やその他教師に

「お前にその役割を任せてる意味を考えろ。期待に応えろ」

と厳しく叱責されることが増えた。

(「増えた」と言うより、例の一件から意識が敏感に向くようになったのだろう。)

 

 

「結局は“役割を果たす”存在でしかなくて、自分の意思は関係ないのね」

「家でも学校でもこういうもんか」

 

 

声変わりも進み、オナニーの快感も覚えた僕は、もうすっかり汚れていた。

 

 

「結局どれだけ近い存在でも“作品” “役割”として利用し合うだけやったんや」

「そんな場所からはもう降りたい」

 

 

人付き合いで距離を置くようになったのはこの時期からだ。

 

 

「どうせ“役割”としてしか見てないくせに、分かるフリして中に入ってくんな!」

 

 

いつも、心の中でこう怒っていた。

 

 

深い付き合いをしている同級生同士を見ていると羨ましくなった。

同時に、「俺にはああはできないんやな」と苦しくもなった。

だから、その感情ごと消し去ることで全てを諦めた。

もう、そうするしか自分を守る方法が無かったのだ。

 

 

諦めもしたし、

中途半端に「所属感」を出してくる輩に全力で反発もした。

「うるさい」「気持ち悪い」しか感じられなかった。

 

 

2年生で一気に身長が伸びた僕は、

家の中で親から殴られることがなくなった。

 

 

日々の生活で溜まりに溜まった鬱憤を、

卑怯にも体格に任せて暴れて発散するようになった。

「お前のせいでこうなったんじゃ!」と。

 

 

・・・・・・・・・

 

 

3年生になると、学校の移動教室先、指定席に座ると机に

誰に宛てたでもないメッセージが書いてあった。

他のクラスの誰かだ。

確か、当時流行っていた映画「トリック」に関することだったと思う。

 

 

暇な僕は何気なく返事を書くと、次の授業のときには更に返事があった。

 

 

そこからずっと机上の文通をしながら、

「こういう何も気にしない、何気ないやりとりを机でしかできない俺って…」

と虚しくなった。その後は、寝たふりをしてこっそり泣いた。

 

 

でも、あの時間が数少ない当時の僕の救いの時間だったのは確かだ。

 

 

後日談だが、その相手は2年生の頃同じクラスだった女の子だった。

同じ教室にいた時はあまり話す機会もなかったのに、

文通を通し、何故か中学卒業後から仲良くもなった。

不思議なご縁もあるものだとつくづく感じる今日この頃である。

 

 

・・・・・・・・

 

 

その後、高校には無事入学したものの、

高校に入ると更に腐りきっていくこととなる。

 

 

高校に入ると筋肉も急激につき始め、体格で負けることがなくなった。

つくづく卑怯なことに、学校でも、そして街中でも、

更に調子に乗って力任せに鬱憤を晴らす機会が増えた。

 

 

ある程度学業成績が良かった分、俗に言う「進学校」と呼ばれる学校に入ったが、

もうそこでは中学校時代のようにかつての「貯金」は通用しない。

 

 

増してや将来の目標も何もないとなれば、

行き着く結果は「落ちこぼれ」と呼ばれる存在だった。

いつしか素行も相まって「ゴミ」と呼ばれるようになっていた。

 

 

「元々“失敗作のガラクタ”やってんから“ゴミ”でも大して変わらん。好きに呼べや」

 

 

とにかくひとつハッキリしていることは、

少なくとも「人間」としては扱われていないということだ。

あれだけ嫌っていた「役割」さえも、もう任されることはない存在。

 

 

 

もう、「繋がり」や「所属感」の類の感覚は、すっかり消え去っていた。

 

 

 

荒れに、荒れた。

 

 

 

(続く)

 

 

▼次回予告(と言う名の備忘録)

①カレン・ホールナイ「所属感の欠如」について

②今思うことについて「まとめ」(まとめられたら)