屈託なき歌声の恐怖政治
16歳の頃から「指切りげんまん」という行為が嫌いだ。
この行為の元々の由来は、
江戸の遊女が永遠の愛を誓い、客に自分の小指を切って渡したことだ。
転じて、現代において「指切り」は
「約束の厳守」を誓い合う行為として認知され、行われている。
くれぐれも僕は「約束を厳守する行為」が嫌いなのではない。
(それだと只のクソッタレだ。)
「指切り」をする際のあの歌を思い出して欲しいのだ。
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♩指切りげんまん 嘘ついたら針千本飲ます 指切った♩
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「げんまん」は漢字表記だと「拳万」、
つまり、約束を破ると拳で10000発どつき回された上で針を1000本飲ませられるのだ。
こうなると最早「約束」の名を借りた総括であり、恐怖政治である。
遊女のエピソードを鑑みるに、「並々ならぬ覚悟」を持った側から
「自らの身体の一部を差し出し」、「仕事も断ち相手の男の家に入る」
程の「覚悟」を提示し、それを当事者間でやり取りする、
という意味が当初あったのであろうことは想像がつく。
しかし、こと現代においては「許す」権利を持つ側から指を差し出している
現実がほとんどであることを鑑みるにつけ、
自分が「並々ならぬ覚悟」を携えた上で約束を提案することと、
相手に「並々ならぬ覚悟」を携えることを強要した約束を提案することとでは
大きく意味が異なりはしないか?
とどうしても考えてしまうのだ。
例の如く辞書から引用するが、「約束」は以下のように記載されている。
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①当事者の間で取り決めること。
②ある社会や組織で、守るように定めたきまり。
③その実現が確実視されていること。
④前から決まっている運命。宿命。因縁。
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「指切り」をする場面における「約束」の意味は主に①だろうと思われる。
あくまで「取り決める」(=相談の上決定する)ものなのだ。
「相談」とは、
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・問題の解決のために話し合ったり、他人の意見を聞いたりすること。
また、その話し合い。
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つまり、約束は
「互いに話し合い、意見を聞きながら決めていく」ものである。
その上で、最後に「互いの覚悟を示し合う」必要があるのであれば、
互いにそれぞれの覚悟を表明、共有し合えば良いではないか。
それを「嘘ついたら拳骨10000発と針1000本」は
あまりに狂気の沙汰過ぎやしないか。
と言うより、そこまでの協議をしながら「約束」まで至った間柄であれば、
何か予定と違うことが起きた際、それが本当に「嘘」なのか否かを判別する
協議の余地だってありえなくはない気もする。
僕は、針1000本も、基いそんな「約束」も、とてもではないが飲めない。